四十九日が終わって

父の四十九日が、2月2日に執り行われました。もちろん、実家のほうで拝んでもらったのですが、私自身も日にちの認識はしていました。

実家の状況を考えるとリモートで。っていうのも違う気がして、プラス、自身の仕事も忙しくて。というのことで、テレビ電話もできませんでしたね。

少し残念なような、そもそも親父が亡くなるのも早すぎると感じてしまいますね。

2021年12月16日享年78歳

冥福を祈っています

年齢ばれちゃうのですが、同じネズミ年なんですよね。息子君ともおなじネズミ年。

三代わたってネズミという。。。

いろいろな思い出があるのですが、私自身、親父は自分の前ではあまり馬鹿笑いはしなかったように記憶しています。常に厳格な父親であろうとしたのかな?と考えます。今となっては語らうこともできないのですが、もっと話しておけばよかったと今でも考えてしまいますね。

母が語っていたエピソードを一つ

死期が近づいていた12月。父は病院に入院していました。母はその父の病院に見舞いに行き、朝から五時過ぎまで病院で語らっていたそう。

男性の看護師が、

「父親さーん、どこか調子悪くないですかー?」と父の様子を伺うも、

「・・・」

無視。

その後、時間がたちおばちゃん?(かどうかはわからないけど、母の話では。)がお茶を入れに来ました。

「父親さーん、お茶いかがですかー?」

「はーい!」

明朗快活な返事。女性なら誰でもいいのか?

と母は思い、ぷっただいだ。とのこと。(叩いたということです。)

このエピソードは母から聞いたものですが、亡くなって気丈にしている母を見るのもなかなか大変でした。

この年の冬は、雪がすごく多かったのですが、父の葬儀の時は決まって晴れていましたね。

行い、ということなんでしょうか?

父さんは、今、向こうで友達と語り合っているのかな?先に行った仲間と合流できましたか?

向こうでも楽しくやってくれていれば、それが一番。母のことも守ってあげてくれ。

今度のイベントは納骨です。3月末の予定です。細かくエピソードを残していきたいなって思っています。

家族と、どんなことでも、話し合う時間を大切にしてあげてください。

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